STOL実験機「飛鳥」97回の飛行が遺した衝撃の技術|純国産エンジンの圧倒的挑戦

STOL実験機「飛鳥」とは何だったのか

STOL実験機「飛鳥(あすか)」は、1980年代に我が国が国の総力を挙げて飛ばした、たった1機だけの実験機である。開発したのは科学技術庁 航空宇宙技術研究所(NAL、現JAXA航空技術部門)。短い滑走路でも安全に離着陸でき、しかも空港周辺に騒音をまき散らさない旅客機——その未来図を、日本は自らの手で描こうとした。

出発点は1975年、航空技術審議会の建議「我が国に適したSTOL輸送システムの具体的推進方策について」だった。1977年にはNAL内に「STOLプロジェクト推進本部」が設置され、C-1輸送機を生んだ川崎重工業を主契約企業に、三菱重工・富士重工(現SUBARU)・新明和工業・日本飛行機が協力企業として結集する。文字どおりのオールジャパン体制である。

機体はC-1輸送機をベースに新造された(改造ではない)。愛称は全国の小中学生から公募され、4,563通の応募の中から「飛鳥」が選ばれている。

「飛鳥」主要諸元

項目数値
全長 / 全幅 / 全高29.0m / 30.6m / 10.2m
主翼面積120.5㎡
全備重量38,700kg
エンジンFJR710/600S × 4基
製造川崎重工業(1機のみ)
運用1985年10月28日 初飛行 〜 1989年3月

主翼の“上”にエンジン ― USB方式という賭け

このSTOL実験機を一度見た人は、まず忘れない。ターボファンエンジン4基が、主翼のではなくに載っているからだ。

これがUSB(Upper Surface Blowing)方式である。エンジン排気を主翼上面に流し、フラップを下方へ曲げると、排気流が翼面に沿って曲がる。コアンダ効果だ。その結果、通常の2〜3倍にもなる揚力が生まれる。

さらに主翼前縁と補助翼前縁から空気を噴き出す境界層制御まで組み合わされた。エンジンを翼の上に置いた配置は、副次的に地上への騒音も大幅に低減した。「低騒音STOL実験機」という正式な呼称は、ここから来ている。

97回、167時間 ― 3年半の記録

1985年10月28日、岐阜飛行場で「飛鳥」は初めて空へ上がった。以後1989年3月まで、3年半で97回・計167時間10分の飛行実験が行われている。

搭載された技術は当時の最先端だった。コンピュータによる飛行安定制御装置(SCAS)、HUD、耐熱複合材の一部使用、対音響疲労対策。同じUSB方式を研究していたNASAのQSRAとは国際共同研究を行い、互いの実験機の飛行性を評価し合った。

本当の遺産はエンジンにあった

このSTOL実験機が遺した最大の成果は、実は機体ではなくエンジンである。

FJR710は1971年度から通商産業省工業技術院の大型プロジェクトとして開発された、純国産の高性能ターボファンだ。第一期の総開発費は約67億円、第二期は約185億円(後に130億円へ減額)。IHI・三菱重工・川崎重工から派遣された技術者と、東京大学など学界の力が総結集した。

転機は1977年だった。試作したFJR710/20を英国・国立ガスタービン研究所(NGTE)に持ち込み高空性能を測定したところ、性能は極めて良好で、試験中のエンジン不具合は皆無だった。これを高く評価したロールス・ロイス社は、1978年初頭に共同開発を呼びかけてくる。

その流れは1982年のRJ500完成につながり、さらにP&W・MTUらが加わってIAEが設立され、V2500が誕生した。A320やMD-90に採用されたこのエンジンは、2018年6月時点で7,600台以上が生産されている。日本が世界の民間エンジン市場へ足を踏み入れた扉は、「飛鳥」の背に載せられて開いたのだ。

なお、FJR710の総運転時間は7,100時間に達している。

なぜ実用化されなかったのか

期待に反し、STOL旅客機は生まれなかった。地方空港にも長い滑走路が整備されるようになり、国策としての必然性が薄れたこと、そして機体ごとに多額の開発費がかかると判明したことが理由である。

技術的な事情もあった。STOL機は機首を下げると高度も速度も上がるなど在来機と特性が異なり、SCASやFBWといった電子的補正が不可欠になる。アメリカ空軍のYC-14・YC-15もまた高コストを理由に不採用となり、同形式で実用化されたのはアントノフAn-72/74のみだ。

40年後、国がもう一度その名を呼んだ

2023年4月、「飛鳥」が実証した低騒音短距離離着陸技術は、日本航空宇宙学会の「航空宇宙技術遺産」に認定された。

そして2025年10月25日、一般財団法人日本航空協会が「飛鳥」を**「重要航空遺産」**に認定する。初飛行40周年にぴたりと重なるタイミングだった。全国で14件目、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の収蔵品としては4件目となる。

認定理由はこう記されている。短距離離着陸技術やコンピュータによる飛行制御技術を飛行実証し、これら新技術が後の国産機開発に大きく貢献した。搭載された純国産ファンジェットFJR710の技術は、国際共同開発エンジンに参加する礎を築いた——と。

40年前、実用化されなかった実験機として静かに忘れられかけた1機の飛行機。その機体はいま、岐阜県各務原の地にそのまま残されている。失敗と呼ばれた挑戦が結局何を遺したのか。その答えを、いま国が公式に出したのである。

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