85秒。そして29分04秒。
H3ロケット9号機が刻んだこの二つの数字の間に、2026年8月のある一夜がまるごと収まっています。前者は8月10日夜、中国・海南の文昌で消え去ったロケットの飛行時間。後者は、それから約7時間21分後に我が国が守り抜いた時間です。
未明4時23分、種子島がふたたび火を灯した
8月11日未明4時23分31秒。鹿児島県の種子島宇宙センター大型ロケット発射場から、H3ロケット9号機が闇を裂いて上昇しました。搭載されていたのは、日本版GPSと呼ばれる準天頂衛星「みちびき7号機」です。
スマートフォンの地図、カーナビ、ドローン、自動運転。私たちが毎日なにげなく使っている位置情報の骨格を支える衛星です。
固体ロケットブースター、衛星フェアリング、第1段が順次分離し、第2段エンジンが第1回・第2回燃焼を終えるまで——29分04秒。みちびき7号機は、所定の軌道に正確に置かれました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 打上げ日時 | 2026年8月11日 4時23分31秒(JST) |
| 射場 | 種子島宇宙センター 大型ロケット発射場 |
| 打上げ機 | H3ロケット9号機 |
| 搭載衛星 | みちびき7号機(準静止軌道) |
| 衛星分離 | 打上げから約29分04秒後 |
| 結果 | 所定軌道への投入に成功 |
| 特記 | 高精度測位システム「ASNAV」搭載 |
H3ロケット9号機の前に立ちはだかった二度の崩落
この成功が特別な意味を持つのは、同じ第2段が二度も我が国の足を止めてきたからです。
2023年と2025年、原因は同じではなかった
2023年3月、H3試験機1号機は第2段エンジンがそもそも点火せず失敗しました。そして2025年12月22日、H3ロケット8号機は第2段エンジンの第2回燃焼が正常に立ち上がらず早期停止し、みちびき5号機を失いました。
ここは正確に押さえておきたいところです。二つの失敗は「同じ第2段」で起きましたが、原因は別物でした。 8号機では、軽量化・低コスト化のためH-IIAのボルト固定方式をCFRPの接着方式に変更した衛星搭載アダプタで剥離が生じ、フェアリング分離の衝撃で損傷が進展。第2段の液体水素タンク加圧配管まで傷つけたと分析されています。
コスト削減が品質を削った典型例であり、JAXAは当面の打上げについてボルト固定方式へ戻す判断を下しました。
6号機が扉を開け、9号機が押し切った
ですから今回は「単独の復活劇」ではありません。2026年6月12日にH3ロケット6号機が先に復帰成功を収め、9号機がその上に2機連続の成功を積み上げたのです。一度の成功は運かもしれませんが、二度目は対策が効いた証拠です。
みちびき7号機が背負う本当の任務
軌道に乗れば任務完了、というわけではありません。みちびき7号機はここから自身の推進系を使って軌道を段階的に上げる「オービットレイジング」を行い、最終的な運用軌道である準静止軌道へ移行します。
JAXAの計画では、打上げから約2週間後に軌道上チェックアウトを開始し、約3カ月後をめどに運用事業者へ引き渡される予定です。
ASNAV——誤差を削り取る新たな武器
7号機の核心は、新開発の高精度測位システムASNAVです。衛星同士、そして衛星と地上局との距離を高精度に計測し、測位衛星自身の位置や時刻に含まれる誤差を抑えることで、地上で使う位置情報の精度を引き上げます。JAXAは2028年度末までこの実証を進める計画です。
なお、みちびき5〜7号機は一括調達で約1,000億円規模の事業とされています。
同じ夜、文昌では85秒で沈黙が訪れた
対比は残酷なほど鮮明でした。8月10日20時02分(北京時間、日本時間21時02分)、中国は海南省の文昌宇宙発射場から長征7号改(長征7号甲)ロケットで通信衛星「中星4B」を打ち上げました。
しかしロケットは上昇から約85秒後、第1段の飛行段階で爆発・解体し、衛星は軌道に到達できませんでした。新華社は「原因を分析・調査中」と伝えるにとどまっています。
長征7号改にとっては2020年3月の初飛行失敗以来二度目の挫折であり、2026年に入って中国4件目の打上げ失敗でもあります。爆発が機体異常によるものか、飛行終端システムの作動によるものかは、現時点で確定していません。


7機体制まで、残るのは本当にあと1機
今回の成功で、みちびきは6機となりました。政府が目指すのは、米国のGPSに頼らず日本の測位衛星だけで位置情報を提供できる7機体制です。
ただし冷静に見るべき点があります。残る1機はみちびき8号機であり、その打上げは2031年度に予定されています。みちびき5号機の喪失が残した、5年という空白です。
内閣府は、6機運用でも準天頂軌道を回る衛星の配置を見直すことで一定の精度向上が図れるとしており、将来的には故障時のバックアップと提供エリア拡大のため11機体制への拡張を計画しています。
二度崩れ落ちたその場所から、H3ロケット9号機は立ち上がりました。 残されたのは、あとたった1機。その1機が上がる日、日本の空の位置情報は、ようやく我々自身のものになります。


